Kabata Masahiko

exhibition

 
June 2 sat --- 13 wed.

2001


11:00 am -> 7:00 pm

フレスコ
版画

展覧会によせて フレスコ画や版画を制作しているせいか、左官や印刷の業界専門誌に目を通 す機会がたまにある。先日も左官関係の小冊子を見ていたら、イタリア在住の日本人夫妻がフレスコ画の普及活動をされている様子がレポートされていた。フレスコ画の発祥の地ともいえるイタリアだが、近年は壁画技術の後継者不足なのだそうだ。イタリアでは今でも職業による身分の差別 が残っているそうで、作家は左官職人より身分が上なので壁塗りをしなくなった様である。これを危惧した外国人であるこの夫妻が講習会をしながら各地を回っているのだという。何とも摩訶不思議な現象ではないか。 確かにこの現代社会にあって、フレスコ画や版画ほど非合理的なものはないだろう。かつてはごく日常的に当たり前に行われていたことが、時代と共に趣味の領域に成り代わって行くのはよくあることだ。しかし、時代の進化に伴い、失われて行くものも多々あることを忘れてはならない。近年ゆとりや豊かさの欠如からか、絵画がしだいにわかりにくいものになって来た様に思う。  ここ数年は”華”をテーマにしている。私にとっての”華”とはたたずまいであり、人間を取り巻く空気感そして安息である。これは、人類がいかに進歩しようともこれだけはなくなってほしくない要素だと思っている。フレスコ画や版画での表現手段は、このテーマを瞬時に定着するのに大変都合がいい。 最初は興味本位で試行錯誤を繰り返しながら始めたフレスコ画も、十数年を経過した。 どうしてフレスコ画や版画での表現なのかが、真に問われ始めている様な気がしてならない。海の向こうのフレスコ画のレポートはちょっと面 白い反面、ただ事ではない危機感を覚えるのである。そのうちIT革命なんか過去に追いやられ、すたれたコンピューターの普及活動なんかする時代がいつしか来るのだろうか。  いつの時代でも、華は失いたくないものである。
2001・3・8 加畑省彦 記